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御主人のお話を聞くうちに、目的の越前そば打ち包丁そのもの、というよりも、そのそば打ち包丁を生んできた経済基盤やその由来する、歴史や環境、職人の徒弟制度などが消滅しつつある現状に強い危機感を持った。
なぜか?使い捨てのシステムは明らかに地球の自然と環境と資源を酷使し、搾取することにつながって、ひいては人類の滅亡に係わってくることは歴史上、過去の大文明の崩壊の歴史をみれば、明らかだから。
この現状については誰もが捨て置いてよい、とは思えないだろう。
店の歴史は少なくとも137年以上、と御主人は言う。その間、職人や御主人が血と汗と涙で、代々守り育ててきたお店に違いない。
御主人が商売熱心で、努力家であることは、刃物販売を通じて、誰よりも私が良く知っている。
にもかかわらず、跡継ぎがない、職人が育たないと言うのである。
どこかでこの日本という国の連綿たるシステムが崩壊しつつある、と思うのは私だけだろうか?
即物的な使い捨て思想が蔓延した結果、偽物が本物を駆逐しつつある現況について、である。何がこの国の人々を短絡的な考えにしてしまったのだろう。
江戸時代の完全なリサイクルシステムを崩壊させたものは大量生産と大量消費=ゴミ このゴミが日本の将来を決めるのでは?有限である資源を無限だと勘違いしてはいないのか?
文化包丁がペテイナイフになるまで、研いで、研いで、砥ぎまくった世代はたったの一世代前に過ぎないのに、はや、石油がどうの、鉄がどうの、ゴミがどうの、と右往左往して、不景気になると、ちょっと前の、この話を忘れてしまったかの如くである。
実はこの問題はなくなってはいない。潜在化しているだけで、すぐまた出てくるだろう。
環境を守るのは次の世代、というのではあまりにも無責任であろう。
何回も使えること、何度も新品同様に使えることの大事さをわかってもらえないのだろうか?
一度使用した物を造りかえて、再販売するためには古物商の免許が要るらしいが、きずものを売ったり、使い物にならない物をつかませたり、盗品を売ったり、の問題が一回でもあれば、社名ばかりでなく経営者や重役や役員の名前も、全部、公表すれば、2度とそんな問題は起こせないだろう。
なんとか消費者教育を徹底して、偽物を本物とだまされないようにすると同時に、資源のムダを省ける本物を大事にすることやできるだけ、たくさんの物をリサイクルできるよう支援していく事の方が本当はもっと大事ではあるまいか?
御主人のいわく、”もっと消費者教育を徹底してほしい”との言葉に、私としては大変、共感したところでございます。
最後にちょっとした小話を、、、。
ある市井の人のいわく、”自分がお勤めの会社ではたかーい物を作って、たかーく売っている。、だけど、自分が買うときにゃ、やすーい物を買ってきて、ぽいすてですます。、こりゃ、なんでだろ?”
”次の世代ではゴミをぽいすてすれば、たかーくつくんでは?”
”そんなこと、死んだ後のこっちゃ。”
”なるほど、それじゃ、ぽいすてのやすーい物を作ったメーカーさんだけが儲かるのかいな?じゃあ、ゴミの始末はやすーい物を作ったメーカーさんに責任をもってもらわないと。”
”いらんこといわんでいい、今はゴミは役所がタダで集めてくれるんじゃ、ぽいすてのほうが安くなるんじゃ。”
おわり。